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ビルケンの歴史

 BIRKENSTOCK(ビルケンシュトック)はドイツを代表するサンダルとシューズのブランド。

 ──だとお思いですよね。

 じつは、みなさんご愛用のサンダルの歴史はたった30年。BIRKENSTOCKは、その230年の歴史のうち200年を中敷き専門メーカーとしてすごしてきたのです。

 BIRKENSTOCKの真髄は、じつは日本で注目されるような、おしゃれなデザインやファッション性ではありません。あくまでフットベッドと呼ばれる靴底にあります。

 一介の靴底・中敷き職人が、なぜ世界を代表するサンダル・靴メーカーになったのか、ここではその歴史をお話ししましょう。

 高校時代に接した方も多いであろう山川出版社の歴史参考書が、こんなことを書いています。

 《かりにSF風に自由にタイム=スリップができるとしよう。現在から順に過去にさかのぼっていくと、どのあたりで現在の世界とはまったく違う、別の世界に入ったと感じるだろうか。むろん、小さな「変わり目」はいくつもあるが、決定的に「違う」社会に入るのは、とくに西ヨーロッパでは18世紀末のことであろうと思われる。》(『詳説世界史研究』木下康彦ら編、山川出版社)

 BIRKENSTOCK社の歴史は、同書が歴史の切れ目と断定するこんな時期に始まっています。

 つまりは21世紀初頭の情報革命のただ中に生きているわたしたちと同じです。20年前と20年後がまったく違う世界になってしまう激動期だった。

 BIRKENSTOCKについての最古の記録は、1774年、創始者ヨハン・アダム・ビルケンシュトックが「臣王の靴職人」として国王の認可を受けた、というものです。これは教会の公文書に見られるビルケンシュトック家の記録です。

 つまりは「総理大臣賞」をもらった町の靴職人というような存在だったのですかね。いや失礼しました、国王のほうがよっぽど偉いか。

 あまりに昔のことであるため、その後しばらく歴史は判然としません。次に残るのは120年下って19世紀末の 1896年、ヨハン・アダムの子孫のコンラッド・ビルケンシュトックがフランクフルトに2軒の靴専門店を開業し、靴の中敷きの販売を始めたとの記録が残っています。

 いつの時代でも、新しい事業は小さなガレージみたいな場所から始まります。

 しかしBIRKENSTOCKが違ったのは、大きくかわった時代の流れにみごとに乗り、さらに大きく時代が変わりつつある21世紀の初めになっても、おしゃれでファッションセンスあふれるうえに、健康にもいいフットウエアとして知名度を上げ続けているということです。

 戦争はすさまじい額のカネを動かすがゆえに、技術の進化を促します。

 たとえば、このサイトをみなさんが読むのに使っているインターネットは、もともとARPANET(アーパネット)というアメリカの軍事技術でした。どこを破壊されても途切れずに通信ができるクモの巣状の情報ネットワークが、民生用に払い下げられてWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)に化け、爆発的な進化を遂げたわけです。

 BIRKENSTOCKにとっては、第一次世界大戦(1914─18)が大きな契機になりました。

 コンラッド・ビルケンシュトックは、整形外科医である息子のカールとともに、大戦中の野戦病院で負傷兵のためのリハビリシューズを作ります。

 そこで目にしたのは、傷ついた兵士はもちろんですが、治療する側の看護婦までが足の痛みに悩まされていることでした。この時にビルケンシュトック親子が看護婦たちのために作成した中敷きは、現在も販売されている中敷き「ブルーフットベッド」の原形になります。

 終戦後の1925年には、BIRKENSTOCKは早くも24時間操業の大規模工場を開設し、フットベッドはヨーロッパ一帯に販路を広げました。オーストリア、フランス、デンマーク、チェコスロバキア、イタリア、ノルウェー、オランダ、スウェーデンなどが商圏でした。

 そして続く第二次大戦の激動期を生き残ったBIRKENSTOCKは、戦後も20年たった1965年、最初のサンダル「マドリッド」を世に送り出します。

 こうして第1号サンダルのマドリッドが誕生しました。そして第2号として発売されたのが、チューリッヒです。

 どちらも当初はまったく受け入れられず、おまけに、当時ハイヒールを流行させようとしていたドイツの靴協会から出入り禁止処分を受けてしまいます。BIRKENSTOCKとはいえ、やはり最初から順風満帆ではありません。

 しかし、この苦境を救う女性が現れます。アメリカ人女性でした。

 1966年のことです。ドイツに生まれ、カリフォルニアに移住した主婦のマーゴット・フレーザーは、貿易商の夫とともに故国を旅行しました。長旅で持病の足の痛みがひどくなったマーゴットがバヴァリア地方の温泉地に滞在していた時、ヨガの療法士に痛みを訴えると、自分が履いているBIRKENSTOCKのサンダルを薦めてくれました。

 彼女はビルケンシュトック・サンダルとの出会いをこう振り返っています。

「それこそ私が欲しかった履き物でした。足台がコルク製だったのですよ。履きはじめて2カ月後、足の痛みは消えてなくなったのです」

 感激したマーゴットは帰国した後、BIRKENSTOCK社に手紙を書き、米国で販売してみたいと申し入れました。

 ドイツからの返事は「それではやってみてください」という簡単なものでした。しかし、近くの靴屋に持ち込むと、「売れそうもない」とすげなく断られ続けることになります。

 マーゴット婦人は、めげずに健康食品業界の展示会にBIRKENSTOCKのサンダルを出品してみました。すると初日にジューン・エンバリーという女性が1足買ってくれた。そして展示会の最後の日、ジューンがまた現れて

「あなたの商品は本物よ。3足下さい」

と言ったのです。こうしてBIRKENSTOCKは靴店ではなく、健康食品店で売られるようになりました。

 69年、マーゴットは離婚し、洋服の仕立てをしながら細々と暮らしていました。

 するとサンダルの販売先から「売れているのにちっとも品物が入荷しないじゃないか」という苦情が届くようになったのです。しかし彼女には追加仕入れの資金すらありません。すると健康食品店を持っているエモリー夫妻が「6000ドル貸してあげるから開業してみたら」と提案してくれたのです。それが今や米国サンダル業界でトップの会社、BIRKENSTOCK USAの出発点でした。

 73年になると、何人かの靴店経営者がマーゴットを訪ね、「健康食品店から靴の箱を抱えて出て来る若者たちがたくさんいる。うちでも売ってみたいのだが」と提案してきました。

 折しも時代はヒッピームーブメントのまっただ中。チューリッヒはヒッピーたちのユニフォームのような役割を果たすようになり、おおいに販売を伸ばしました。74年にはアリゾナ、アテネ、オスロ、ローマの4モデルが発売されます。

 BIRKENSTOCKは若者たちが発見し、愛用するようになったのです。若者たちの中からも「自分たちも売ってみたい」という声が出て、BIRKENSTOCKの店はあっという間に全米で200店を超えるようになりました。70年代から80年代まで年間売り上げは倍増を続け、ファッションとして定着してゆきました。

 マーゴットの戦いは続きました。ドイツの本社は保守的で、地味で丈夫なサンダルという商品イメージを変えたがらなかったのです。彼女が色物サンダルの入荷に成功するまで10年かかったといいます。

 欧州企業がアメリカのポップカルチャーを受け入れるまでには大変な苦労があったのです。

 最初はスタイリッシュとかファッショナブルなどという形容詞からほど遠い位置にあったBIRKENSTOCK。アメリカ人女性マーゴットによって、世界中でBIRKENSTOCKを履く人の数は大きく変わったといえるでしょう。

 今、マーゴットは81歳。現役を引退しましたが会長職にとどまり、BIRKENSTOCKの行く末を見守っています。

 ちなみに、最近はドイツのBIRKENSTOCK本社も柔軟になり、健康重視・質実剛健のイメージからはほど遠い派手な色使いのサンダルも作っています。「ドイツが作るとどうも垢抜けない」のが難なんですが。

 じつは、日本で販売されているBIRKENSTOCKサンダルは、ほとんどが日本側がデザイン提案したモデルなんです。この日本モデルの中で人気の高いものが、翌年には世界で発売されることもあります。

 ことBIRKENSTOCKに関しては、世界でリードする先進的デザインが日本で採用されているというわけです。